ゆき このエッセイで公司さんが印象的だったのはどこなの?
公司 第一印象はここ。
何度も言うようだけれど、才能とあるいは必要があれば、子供英会話教室に通わなくたって英会話は人生のどこかの段階でちゃんとできるようになる。P154
ゆき 帰国子女ってそういうことだよね。外国に住めば話す必要に迫られて英語ができるようになる。
公司 そうそう。外国に行かずして外国語を意味のある水準で身につけたいとき、単語や文法を覚える努力よりも、身も蓋もないけど、才能がありますかってこと。でも、それよりもっと重要なことは、才能やセンスがいまいちでもいいから、日常生活や人生観のレベルで、その言語を体得する『自分なりの必要性』を実感する機会に身を投じてるのかどうか。才能ないくせに必要に迫られる環境もないままお勉強しても実らないよって、超正論だよね。そして、この指摘のあとに続く言葉が本当に刺さる。
大事なことはまず自分という人間がどういうものに興味があるのかを見定めることだろう。日本語の真の会話がそこから始まるのと同じように、英語の会話だってそこから始まる。P154
ゆき 中身がないとダメってこと。
公司 そう。このエッセイの本旨は、外国語をしゃべれるようになるよりも、人間として中身があることを自分のスタイルで語れるようにならないとねってこと。
ゆき こうゆうの読んだら皆どう思うのかな。幼稚園でも学校でも習い事でも、子供に英語を学ばせる人は沢山いるじゃない?グサリとささるのかな。
公司 おれもそれ気になるよ。
ゆき 気になるよね。正直、反論のしようはあんまりないと思うんだけれど。
ゆき ......話が少し逸れちゃうかもしれないけど、じゃあそうすると、英語に興味が持てなかったり必要性がなかったりしたら、ホントに英語やらなくていいんですか。そこはどうでしょうか?
公司 おお、いい質問だねー。
ゆき 子供の教育のこと考えたらそうじゃん。そんなこと言われても、どうしたら良いのかって悩む。できないよりかできた方がいいのは間違いないでしょ。
公司 うんそうだ。
ゆき だったら、できた方がいいんだから、小さい頃から習い事として英語をやってきた子たちに差をつけられちゃうのは、残念な気がしちゃう。勿体無いというか。
公司 うん。
ゆき 私自身が英語できたことで、有利でもあったから。実感として、やっぱり英語はできた方がいいなーって思っちゃう。
公司 学生生活を楽しく過ごすって意味でもそうだね。小中高大の一般的な十数年間の学生生活を思い浮かべると、英語の学習時間って相当多いから、そのあいだずっとチンプンカンプンじゃキツい。主要教科なのに苦手意識を引きずりながら、周りに遅れないように必死で後手後手に勉強しつづけるのって、かなり辛そう。
ゆき うん。
公司 しかも学校のように比較と順位付けに頻繁に晒されると、不得意な人は劣等感に苛まれるし、やる気もくじかれる。英語が得意なことは、進学や就職に有利なのはもちろんだけど、単純に学校生活の充実感や楽しさに大きくプラスに働いてくるよね。
ゆき うんうん。
公司 だからできた方がいいのは同感だよ。何かを学ぶべき場所のなかで、それを良く学べている人の立場が強くなるのは自然なことで。
ゆき うん。
公司 こういう鋭い記事を読んで真剣に考えた上で、「それでも幼児からの英語教育を私はさせたいと思う」と選択するのなら、多分それはそれで良いことだと思う。英語は学業と就職に有利だから得意になってほしいと、漠然としたイメージのまま我が子にやらせてしまうのとは、ぜんぜん意味が違ってくるはず。
ゆき そうだね。たしかに村上春樹の言うように、幼少期の英会話教室で身につけた英語力をもって、実際のコミュニケーションにおいてどれほど役に立つのか、どのくらい意味のある会話ができるのか、という疑問は残るとしてもね。
<つづく>