公司 この記事のどの辺がよかったと思う?
ゆき ん…まぁなるほどなって思うのは、日本語できちんと話せない人が英語をいくら学んでもうまくは話せないってことかな。言われてみれば当然だよね。
会話というのは生まれつき上手い人と上手くない人がいるし、会話のうまくない人がどれだけ英会話に堪能になろうとしても、それはおのずから限界というものがある。なぜならばそれは生き方の姿勢の問題だからである。日本語の文章を書くのが苦手な人がどれだけ英作文を習ってもおのずから限界があるのと同じである。P151
ゆき あと、世の中の人は英会話を後天的に身につけられる技術のように考えてるけど、それは違うよっていう指摘。やっぱり才能やセンスが必要だし、それがないんだったら、日常的に必要性がないとなかなか上達しないよね。
公司 うんうん。
世の中の多くの人は外国語会話というのを後天的に身につけることのできる純粋な技術として捉えて考えているように見える。それなりのルールを覚え、しかるべき単語を上手に暗記し、発音を矯正し、場数を踏めば誰でも英会話に堪能になれるのだという風に。
だからこそあれだけ巷に英会話教室が溢れ 、書店にはテープやら本やら山積みになりながら、きちんとした英会話能力を身につけた人があまり見当たらないという事態が生じるのだ。僕は断言してもいいけれど、その辺の町の英会話教室で英会話を身につけるのはまず無理である。P151
ゆき 英語の才能も必要性もないのなら、相当なやる気がないとね。
公司 うん。
ゆき だって面白くないじゃん。普通にやってる学校の勉強だけじゃ...。面白いと思えないと全然上達しないし。村上春樹みたいに、海外の小説を原語で読みたい!って興味や情熱から英語習得に入っていくのが、やっぱり自然な流れだと思う。*1 動機として凄くわかりやすいよね。それなら上達するよ。
公司 そうだろうね。
公司 このエッセイの話さ、そういえば『村上ラヂオ3』にも書いてあったよ。
今朝ちょうど読んだところでね。村上春樹はポール・セローという小説家の旅行記が好きで、それは波乱万丈な旅の体験記でとても面白いらしいんだけど、そのなかのワンシーンを紹介しながら「CAN YOU SPEAK ENGLISH?」の意見と同じことを言ってるんだよ。
ゆき あったね。
公司 待ってて、いま探す。…この、「死ぬほど退屈な会話」ってタイトル。ちょっと読むね。
ポールは東アフリカのある国を旅していた。実に殺伐とした地域で、娯楽もなく見どころもなく、街には英語をしゃべる人間が一人も見つからなかった。暇と持て余してうんざりしているときに、一人の日本人に巡り合った。日本の企業から単身派遣されている技術者で、かなりうまく英語を話す。ポールはうれしくなって会話を始めるのだが、相手がとんでもなく退屈な人間であることにすぐに気づく。話が紋切り型というか、ちっとも深みがないのだ。そして、これなら一人で壁でも眺めていたほうがまだマシだったと思う。P54
なんかその情景が目に浮かんできますね。退屈な会話というのは時として拷問に近い。P55
ゆき どんだけ退屈なんですか(苦笑
公司 この本の出版は2012年でしょ。あぁ村上春樹は『はいほー(1989年)』の頃から、もう長年ずーっと同じことを思ってきたんだなぁ。
ゆき たしかに、ペラペラ話せても中身が薄っぺらいんじゃダメだよね。よい会話と言葉の流暢さとはあまり関係がない。
ゆき わたしもちょっと読むー、貸して。
英語は今では、英米人のための言語というよりは、リンガ・フランカ(世界共通語)としての機能のほうがむしろ大きいので、極端に言えば「意味が通じればそれでいい」ということになる。となれば、そこで大事なのは「流ちょうに話す」ことよりは「相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか」ということになる。つまりどんなにすらすら英語が話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。僕の英語は流ちょうではないけれど、手持ちの意見だけは何しろたくさん、(文字通り)売るくらいあるので、相手はそれなりに耳を傾けてくれるみたいだ。
英語を「社用語」にしようという日本企業も出てきたみたいで、まあそれも大事なんだろうけど、同時に「自分の意見」を持てる人を育成することがもっと大切じゃないかと、僕なんかは思います。そのへんをきちんとしないと、また世界のどこかでセローさんのような気の毒な犠牲者が生まれることになる。P57
ゆき ――相手に伝えるべき内容を、自分がどれだけきちんと把握しているか。
公司 うん。
ゆき ――すらすら話せても、話の内容が意味不明だったり、無味乾燥だったりしたら、誰も相手にしてくれない。
公司 うん。
ゆき たしかにねぇ。
公司 英語を学ぼうと躍起になってるのは日本だけじゃないから、そういう人は世界中で増えてるよ。
ゆき そうだね。
公司 村上春樹みたいに、公私で長期にわたって、世界各国に旅行したり滞在したり招かれたりしていると、多分いろんな場面で、流暢な英会話を頑張って身につけてきた人たちと遭遇するんだろうね。
それだけに、充実した会話ができないままスラスラと得意げに話せようになってもねぇ…と、残念な違和感を感じる機会が沢山あったんだろうな。
ゆき うん。実際に海外生活が長い人が言うと、説得力があるね。内容に中身がある人だから本当に。
<つづく>
*1:『職業としての小説家』P195より
僕は高校時代の半ばから、英語の小説を原文で読むようになりました。とくに英語が得意だったわけじゃないんですが、どうしても原語で小説を読みたくて、あるいはまだ日本語に翻訳されていない小説を読みたくて、神戸の港の近くの古本屋で、英語のペーパーバックを一山いくらで買ってきて、意味がわかってもわからなくても、片端からがりがり乱暴に読んでいきました。最初はとにかく好奇心から始まったわけです。そしてそのうちに「馴れ」というか、それほど抵抗なく横文字の本が読めるようになりました。当時の神戸には外国人が多く住んでいたし、大きな港があるので船員もたくさんやってきたし、そういう人たちが、まとめて売っていく洋書が古本屋にいけばいっぱいありました。僕が当時読んでいたのは、ほとんどが派手な表紙のミステリーとかSFとかですから、それほどむずかしい英語じゃありません。言うまでもないことですが、ジェームズ・ジョイスとかヘンリー・ジェイムストカ、そんなややこしいものは高校生にはとても歯が立ちません。しかしいずれにせよ、本を一冊、最初から最後までいちおう読めるようになりました。なにしろ好奇心がすべてです。しかしその結果、英語の試験の成績が向上したかというと、そんなことはぜんぜんありません。あいかわらず英語の成績はぱっとしませんでした。